21世紀イコール超高齢化社会と言われていますが、果たして自分は何をどうすれば良いのか何となく考えていました。子育て(二人の息子は大学を卒業し社会人になり)も一段落し老後の生活について色々の事が気になり初めました。
 たまたま自宅の前に老後の為にと200坪程の土地を残しておいたのですが、空地として遊休不動産と認定され法外な固定資産税にも悩んでもいました。

 平成9年のその頃、一人暮らしの老人が亡くなってから50日位たって発見されたニュースがその時の衝撃として心に残っていました。その頃、建設会社より空地の有効利用としてマンション建設の話が持ち込まれました。当初は建設会社にいわれるまま話を進めていましたが、老人専用にしたらここで亡くなっても数日のうちには気が付くだろうと呟いたところ『高齢者専用の下宿屋さん』こそ公的な施設が恒常的に不足している現在において高齢化社会に対して民間が取組む事業だと建設会社が真剣に考え出しました。

 私ども夫婦は自分の両親については精神的にも物理的にも世話する事が出来ず、この先もその可能性が全く無い事にいささか寂しい思いが無いとは言えず「親孝行」と言う言葉に抵抗を感じておりました。
 空から見たら他人の親御さんと仲良く暮らしたって「親孝行」になる筈だと思った時にこの事業に取組む決意が出来ました。
 しかも10人まとめて親孝行が出来るなんて考えても見なかった事です。
 又、自分あるいは家内の親だから何かあった時に強く言い過ぎたり遠慮したりした事が精神的ストレスとして現在まで尾を引いている事に気が付きました。金銭を介在して約束した事を守る事で他人どうしの方がかえってうまく行くように思えて来ました。

 詳細な設計図が出来上がり事業金額が煮詰められてくると、土地さえあれば新築しても月々10万以内でお世話出来る事が判明しました。なおかつ10人満室であればお世話する家内に20万ものお手当てが頂けるのです。50歳を過ぎたおばさんがパートに出て頂ける収入を考えると夢の様です。

 公的施設である特別擁護老人ホーム及びケアハウスあるいは老健施設は入居者一人あたり月々25万ないし30万もの補助金を得て運営されているのです。
 調度その頃、知人である浜田輝男氏(故人)が東京札幌間の航空運賃に疑問をいだき航空会社を設立して大手に立向かうべく壮大なとんでもない事に挑戦し始めた時でもありました。
 事業計画は月とスッポン程違いますが、国家に対する挑戦に違いありません。
 計画を詰める度に私以上に建設会社と融資先の金融機関の方が熱く燃えている事が判りました。
 21世紀の超高齢化社会にたいして高齢者の生活を考えると土地さえあれば新築しても月々10万以内でお世話出来れば日本の未来に希望が沸いて来ました。
 この時点で清田の高台から眺める夕日の美しさから名称も『夕日ケ丘山荘』と決まってしまい、契約書に印鑑を押すだけに追い込まれてしまいました。
 しかし私の心にはまだ一つ引っ掛かる事がありました。それは昭和49年に東京を捨て札幌に住みついて25年余り80才をすぎた両親に何と説明するかでした。長男としていずれ東京に戻って来ることが双方とも暗黙の了解が有るような無いような微妙な時期でした。
 設計図を添えて極めて事務的に計画を報告したところ意外にも「大変良い事なので是非とも実現する事を願う」と即座に返答の電話が来ました。私の心は嬉しさよりも正直寂しい気持ちの方が先に来ました。

 しかしその時に契約書に印鑑を押す決意も同時に致しました。
 老後の為にと残した自宅前の土地を利用して今まで大変お世話になった社会にこれから先の人生で少しでもその社会の為に役に立つ事と共にお世話をすると言う仕事まで頂ける事に充分満足でした。

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