chapter5 夕映え色を共に
 
 10名の高齢者との生活が始まりました。その後も電話と見学者は後を絶たず、自宅の2階まで改造し2名増えました。
 松田アナはその後も入居者が入居する度に山荘にお菓子を持って遊びに来ました。山荘の皆もアキちゃんと呼び気安くいつしか友達感覚になっていました。
 しかしこれは松田アナの作戦であって季節の変り目に「夕日ケ丘山荘のその後の生活シリーズ」としてニュースの合間に企画されていました。よもぎを取っての草餅作り、庭でのジンギスカン、借りた農地での大根抜き、漬物作り、味噌の手作り、暖炉の為の薪つくり、あるいは入居者が入院したと聞けば花を持ってお見舞いに駆け付けて来ます。
 ただし、しっかりとカメラマンも同行させてです。

 その他、クリスマス会、正月、雛祭りと必ずテレビカメラが回っていました。新聞のテレビ欄にもあの夕日ヶ丘山荘—として紹介されるようになりました。もちろん良い事ばかりではありません。入居者の入院、入居者同士のトラブル、その家族の反発、入居者の退去と様々な事すべてがカメラに収録されました。
 そんなある日、アキちゃんが来て1年経った頃、北海道テレビからドキュメント『夕日ケ丘山荘物語(夕映え色を共にと題して)』として一時間番組が制作、放映されました。
 亡くなって50日余りたってから発見されたお年寄りのニュースがきっかけで始めるようになった高齢者共同住宅でしたが私ども夫婦の生きざまをテレビが一時間番組に制作放映してくれるとは結婚以来の感動でした。入居者全員で見ました。

 テープを複製して東京の親族はもとより友人知人の全てに送りました。
 嬉しかったのは82才と78才の両親が客が来る度にビデオを見せている事を知らされた時でした。
 二人の息子は照れくさいのか無関心をよそおっていますが内心は読み取れます。
 ドキュメントを最後にアキちゃんは休職してアメリカに留学しました。

 一人の女性に救われただけでなく人生最大の感動まで頂き心からお礼の気持ちで一杯です。アメリカで大きく育ち又テレビの画面に現れる松田亜紀子さんを期待してやみません。

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